「見える」分析化学をめざして

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 「見える」分析化学をめざして

五感のなかで「視覚」は人間にとってかなり重要であり,目に見えないものに人間は怖れを感じる。分析化学ではわずかな物質を感度よく定量することが重視されるが,装置から吐き出されるデジタルデータを見ても,若干のダマされた感が残る場合も少なくない。やはり見た目でわかることは重要である。人間の目は優れたセンサーであり,日常生活でも見た目で実に多くのことを判断している。化学の世界でもこれは同じであり,たとえば,「リトマス試験紙が赤くなると酸性」というのは理科の実験のなかで記憶に残る体験であり,警戒色である赤色のせいもあって,強酸は危険ということは結構イメージされやすい。(逆に塩基性が青色であるせいか,強アルカリの危険さは今ひとつ定着しない。)

特定の物質と結びつくことにより色がつく,あるいは色が変わるような試薬を用いれば,色により物質をはかることができる(*1)。見た目だけの問題ではなく,吸光では奪われた光の強さを,発光・蛍光では放たれた光の強さをはかることにより,より精密に物質を定量することができる。さらに,発光や蛍光を画像で捕らえる(イメージング)ことにより,目的物質がどのように分布しているかを知る「可視化」も可能となる。慶應義塾大学理工学部応用化学科鈴木・チッテリオ研究室(分析化学研究室)では,そのような高感度な発光・蛍光試薬の開発と,それをベースにしたさまざまな化学センサーの開発を精力的に行っている。
https://www.youtube.com/watch?v=RD3rzkkqXvo

蛍光による細胞内イメージングでは,蛍光のエネルギー源となる光(励起光)を照射する必要があるが,ターゲットとなる細胞内部まで光を透過させるには,比較的波長の長い(エネルギーの小さい)近赤外領域の光を用いる必要がある。(強い光に手をかざしたとき指先などが赤っぽく見えるのは,波長の長い赤色の光の方が透過しやすいためである。)また,放出される蛍光は励起光よりさらに波長が長くなる。したがって,蛍光イメージングのためにはエネルギーが小さいが蛍光自体は強い(明るい)という試薬が求められており,この研究室ではそのような試薬の設計・開発に取り組んでる。うまくいった例に蛍光試薬KFLがあり,世界一明るい蛍光分子といってもよいほど輝度が高い。このKFLの最初の研究2008年,アメリカ化学会の米国化学会誌(Journal of the American Chemical Society) に掲載された(*2)。その後,多くの研究者がこの論文を参考に研究を展開している(*3)。また、KFLを含む蛍光分子の光特性は本学会英文誌Analytical Sciencesの総説としてまとめられている(*4)

 

さまざまなエネルギーレベルの蛍光試薬KFL

 

KFLをベースにカルシウムイオン検出用に開発された蛍光試薬KFCAを細胞内に加えて励起光を照射すると,カルシウムイオンが存在する場所からは鮮やかな赤色の蛍光が発生し,細胞内のカルシウムイオンの分布がはっきりとわかる。こういう試薬を使うと感度も定量性上がる。

蛍光試薬KFCAを用いたHeLa細胞のイメージング

 

現在一般的に使われているインクジェットプリンターを利用して,試薬などを紙の上にプリントすることにより,紙を基板とした安価なセンサーチップを組み上げる実用的研究も行われている。(そもそも,インクは吸光試薬の一種である。) そのインクジェットプリントセンサーチップ最初の応用が,尿検査チップである(*5)。このように開発された分析試薬は,次から次へとわれわれの身近なところへ応用されていく。

紙の基板上にプリントされた試薬

最先端の分析装置はユーザーにとって「何だかわからないが触るとできる」ブラックボックスになりがちであるが,試薬の開発をベースにした研究には「化学」の香りがあふれている。新たな試薬やセンサーチップを産み出し,その力を借りることで,身のまわりに隠されたさまざまな物質を目で見てつかまえることができる —— 難しいが,魅力あふれる楽しい分析化学研究がそこにある

 

◎ 慶應義塾大学理工学部応用化学科 鈴木・チッテリオ研究室

 URL: http://www.applc.keio.ac.jp/~citterio/

 

: 鈴木 孝治 教授,右: ダニエル チッテリオ 教授

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<鈴木孝治先生と一問一答>

研究で難しいと感じるときは?

・それなりに失敗が続き,予想する結果になかなかたどり着けないときです。

研究でしいと感じるときは?

・それなりに失敗が続いた後で予想する結果にたどりついたときよりも,いきなり予想外によい結果が出たときです。(← 生真面目な鈴木先生でも「予想外」に吸い寄せられるんですね…)

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*1 「色が見える」という現象には,実は2種類ある。ひとつは,すべての色の光が混ざり合った状態(白色光)から特定の色の光が失われた結果,残りの色(補色)が見えるという現象で,失われた光は物質に吸収されていることから「吸光」と呼ばれる。もうひとつは,物質が何らかのエネルギーを基にして特定の色の光を放つ「発光」であり,このうちエネルギー源が光であるものを「蛍光」,化学反応であるものを「化学発光」と呼んでいる。(デジカメで写真を撮ったとき,ディスプレイで画像をチェックするときの色の源は発光であり,紙に印刷したときの色の源は吸光である。)余談だが,ホタルの光は「化学発光」である。

*2 J. Am. Chem. Soc., 2008, 130, 1550–1551に掲載された

*3 学術データベースWeb of Scienceにおいて,数多く引用された論文として「High Citation論文マークがついている。

*4 Anal. Sci. 2014, 30, 327-349に掲載されている

*5 アメリカ化学会Analytical Chemistry, 2008, 80, 6928-6934に掲載されている。これWeb of ScienceHigh Citation論文マークがついている。また、紙基板センサーチップの総説は、ドイツ化学会誌Angew. Chem. 2015, 54, 5294-5310にまとめられている。

 構成・文: 平山直紀(東邦大学理学部/サイエンスライター見習い)